1 イントロダクション

1.1 三国志の背景

そこで今回取り上げる「三国志」について, 簡単に解説する.

魏から西晋の時代の歴史家である陳寿によって著された, 魏書・呉書・蜀書のいわゆる三国時代の歴史書を総称して三国志, 通称『正史三国志』と呼ばれる. これは正史, つまり当時の王朝によって正統な歴史書と認定された書物であるから, 必ずしも「真実」が描かれているとは限らない. 現在に残る正史三国志は, 南朝時代の裴松之の註解が付されており, 王朝が変わった後世ということもあってより政権に対して批判的である.

『三国志演義』とは正史三国志や, それにまつわる無数の民間伝承や演劇「三国志平話」を羅貫中が編纂したものである. 本場である中国ではそれ以降も多くのバージョンが作られ, 主要な底本も複数存在する. 20世紀になってからも『反三国志』(周 1919)といったメタフィクション作品が作られている. 三国志演義の成立史だけでも膨大な研究が存在するはずだが, ここではそれに触れない.

渡辺 (2011) によれば, 三国志演義の「演義」とは, 義を演繹する, 義を敷衍するという意味であり, 当時の中国における倫理とされていた儒教に規定される道徳心を民衆に教えるという意図がある. よって, 当時の社会情勢や政権の意図が大きく反映されており, 道徳に悖る行動をした人物はみじめに破滅し, 道徳に則った行動を取るものは讃えられるという勧善懲悪の筋書きになっている1. これは陳寿による史書, いわゆる「正史三国志」とはかなり異なる記述である.

渡辺 (2011) によれば, 『日本書紀』の記述にも三国志の影響が見られると言うから, 日本に三国志はかなり早くから伝わっていた. しかし近年の日本では吉川英治の『三国志』(吉川 1939)が有名ではないだろうか. これは三国志演義をもとに吉川が脚色したものであり, 中国本国の三国志演義や正史三国志に忠実な翻訳作品ではない. 横山光輝の漫画『三国志』も, 概ね吉川英治の内容に準拠している.

また, 漫画作品では横山光輝作品の他, 李學仁・王欣太の『蒼天航路』も有名である. 劉備(リュウビ)ではなく, これまで悪役とされることが多かった曹操(ソウソウ)を主役としている2など, 従来の三国志人物像に対するメタな作風が特徴である. その他にも日本の大衆文化における三国志をモチーフにした創作には枚挙に暇がない3.

一方で, 歴史書としての三国志, つまり『正史三国志』が日本で紹介されたのは比較的最近であり, 少なくとも民間向けでは1977年に筑摩書房によって魏書の一部の翻訳4が出版され, 82, 89年に続いて魏書の残りと蜀書5, 呉書6がそれぞれ刊行されている7. また, 三国志演義だけでなく正史に取材して書かれた作品としては, 陳舜臣の『秘本三国志』(陳 1974)8 北方謙三の『三国志』北方 (1996), 宮城谷昌光の『三国志』(宮城谷 2004)がある9.

このように, 史書でも創作でも, 書かれた時代や地域によって三国志の人物の扱われ方が異なる.

1.2 コーエーテクモのゲーム『三國志』シリーズ

コーエーテクモ (旧, 光栄) 社はこの三国志をモチーフにしたゲーム『三國志』シリーズを発売している. 1作目は1985年で, 最新のものは2016年の『三國志 13』である. コーエーテクモは「歴史シミュレーションゲーム」と銘打っているが, 作品によっては, 中国大陸に割拠する勢力の1つを操作し天下統一を目標とするターン制戦略ゲームであったり, 登場人物の一人となって立身出世を目指すロールプレイング・ゲーム的要素の強いゲームだったりもする.

『三國志 英傑伝』『三國志 孔明伝』『三國志 曹操伝』といったナンバーのないタイトルもある.

また, 8以降の作品では, おまけ要素として三国志外の時代の人物, 例えば管夷吾 (管仲) や楽毅, 藺相如といった春秋戦国時代の英雄や, 時系列では後になる南北朝時代の高長恭 (蘭陵武王), モンゴルのチンギス=ハン (成吉思汗), 南宋の岳飛などが登録されている10. 一方で最新作の三国志13 (2016年発売) では戦国時代末期の人物が増えており, これは原泰久の漫画『キングダム』の人気を反映していると思われる. さらに2020年発売予定の最新作14では, 田中芳樹原作『銀河英雄伝説』のキャラクタを登場させるようだ11.

1.3 問題提起

正史と演義での人物の評価両方を取り入れようとすると, どうしても矛盾が生じる. 例えば, 演義では曹操は徹底して「奸雄」つまり小狡い悪党として描かれ, 一方で劉備は利益より義を優先する道徳の手本のような人物として描かれる. しかし歴史はそう単純ではなく, 正史での記述は大きく食い違う. もちろんそれは, 魏とその後継王朝である西晋にとって都合の良いように描かれたという側面もある. しかしいま関心があるのは, なにが史実か, なにが真実かではなく「人々の認識がどう変わったか」である.

矛盾する複数の物語を公平に取り入れようとするならば, 人物の評価はいいとこどりにするか, 悪いところどりにするしかないだろう. よって, 正史三国志が日本人に膾炙されるようになれば (年表を図1.1に示す.), それまで三国志演義で悪役として描かれ評価の低かった人物たちの評価があがり, 結果として『三國志』シリーズでステータスの差別化ができなくなっていくと予想する. 今回は, この仮説を検証するまでの過程を「実践的なデータ分析のチュートリアル」として記録する.

現代日本における三国志文化の年表

図 1.1: 現代日本における三国志文化の年表

1.4 先行・関連研究

たぶんこんなバカなこと考えるやつは過去にも例がないだろう. よって本研究の新規性・独自性は疑いようがない12.


  1. 是とする道徳心すらも, 長い中国の歴史の中で変遷しており, 時代によって人物描写も変化している. しかし今回はそこに深く入ることはしない. 詳しい話は 渡辺 (2011) を参照.↩︎

  2. とはいえ, 曹操を悪役とする作劇は, 日本においては吉川『三国志』の時点でかなり緩和されている気がする. 曹操は相変わらず冷酷・野心家・傲慢な人物ではあるが, 合理的な知恵者としての面も強調されている.↩︎

  3. 『天地を喰らう』はもはやおっさんしか知るまい.↩︎

  4. 今鷹真・井波律子訳 (1977) 『三国志 魏書』 世界古典文学全集 24A, ISBN: 978-4-480-20324-3.↩︎

  5. 今鷹真・小南一郎・井波律子訳 (1982) 『三国志 魏書・蜀書』 世界古典文学全集 24B, ISBN: 978-4-480-20324-3.↩︎

  6. 小南一郎訳 (1989) 『三国志 呉書』 世界古典文学全集 24C, ISBN: 978-4-480-20354-0↩︎

  7. 現在は全8冊の文庫版『正史三国志』として流通している.↩︎

  8. 全く関係ないが陳舜臣作品は『インド三国志』も面白い↩︎

  9. 宮城谷の三国志は『三国志演義』の記述をほぼ廃し, 史書をもとに記述を時系列順に編集し, 著者の人物評などを交えるという形式をとっている. しかし, 例えば孫堅が伝国璽を発見し秘匿するという話が取り上げられている. これは陳寿による記述ではなく裴松之が引く『江表伝』にのみ存在する記述であり, しかも裴はこの説は前後の記述と矛盾している(直前に, 略奪を受けた漢室の墳墓を修復したことから孫堅は漢室に対して忠誠心を失っていないと判断できる)と否定的に紹介している.↩︎

  10. このへんの人選は田中芳樹の影響を受けている気がする.↩︎

  11. 三國志14:『銀河英雄伝説』コラボ情報↩︎

  12. もちろんこれはジョークである. 研究の新規性・独自性とは, 研究の開拓に対する貢献を伴ったものでなければならない. 単に突飛なだけ, 誰もやらなかったものを初めてやった, だけでは研究の価値を主張したことにならない.↩︎